大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

金沢地方裁判所 昭和52年(ワ)96号 判決

原告

川崎道子

被告

水口守

主文

一  被告は、原告に対し、金四六九、二〇〇円およびこれに対する昭和五二年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担としその余を原告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四、六一四、一五二円およびこれに対する昭和五二年五月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)  事故の発生

昭和五二年五月七日午前八時五〇分ころ、石川県羽咋郡富来町中浜への五七付近道路において、被告運転の普通乗用自動車(石五五す九九―七五、以下被告車という。)が富来町中浜方面から同町酒見方面へ向つて走行中、右折せんとして停車中の原告運転の普通乗用自動車(石五五ら、四九〇、以下原告車という。)に追突し、原告は頸椎捻挫の傷害を受けた(以下これを本件事故という。)。

(二)  被告は、被告車の保有者であり、本件事故当時右車両を自己のために運行の用に供していたものであるから自賠法三条に基づき原告が本件事故により被つた損害を賠償する責任がある。

(三)  原告が被つた損害

原告は、本件事故により頸椎捻挫(いわゆる鞭打症)の傷害を受け、事故の三日後である昭和五二年五月一〇日から同年七月七日までの間入院治療を受け、その後も同年一〇月二八日までの間五三日通院し、治療を受けたものであるところ、原告は、一四、〇二六平方メートルの田を耕作して農業を営む傍ら理容業をも営み、又、昭和五一年五月ころから富来町において飲食店(以下レストハウスという)を経営するものであるが、本件事故により入院又は通院加療を要したため、その間右各営業に支障を来し、次のとおりの損害を受けた。

1 入院雑費

原告は、五八日間の入院期間中一日につき金五〇〇円の入院雑費を出損し、その合計額は金二九、〇〇〇円である。

2 農業損失金

原告は、本件事故による傷害のため農作業ができなくなり、人を雇つて農作業をなしたものであり、これに要した費用は、(1)代掻き、整地、肥料等散布賃金二五五、〇〇〇円(2)稲刈取運搬等作業賃金二三八、五〇〇円(3)乾燥費金一五、〇〇〇金(4)消毒賃金一五、〇〇〇円、以上合計金五二三、五〇〇円であるところ、原告一家の昭和五一年度政府売渡米数量は九七俵あつたが、昭和五二年は原告が農作業に従事できず人任せとなつたため、六七俵しか収穫できず、前年に比し三〇俵の減収となり、一俵当り金一七、二六八円であるから金五一八、〇四〇円の減収となつた。

従つて、本件事故による農業収入の損害額は合計金一、〇四一、五四〇円である。

3 理容業損失金

原告は、本件事故により理容業に従事しえなくなり、昭和五二年五月一〇日ころから同年八月末まで理容師を雇入れ理容業を継続したが、これに要した費用は一か月金一五〇、〇〇〇円であるから合計六〇〇、〇〇〇円である。

4 レストハウス営業損失金

原告の経営していたレストハウスにおける昭和五一年五月から同年一〇月までの営業収支は、収入は金四、五七三、一〇〇円であり、支出は金一、六二〇、〇四九円で差引利益は金二、九五三、〇五一円であるところ、本件事故により原告がレストハウスの営業に従事しえなくなつたため営業不振となり、昭和五二年五月から同年一〇月までの営業収支は、収入は金一、三三九、六〇〇円であり、支出は金一、四五九、二三七円で差引金一一九、六三七円の欠損となつた。従つて、本件事故が発生しなければ昭和五二年においても昭和五一年程度の利益が生じたものであるから、前記昭和五一年の利益金二、九五三、〇五一円と昭和五二年の損失金一一九、六三七円の合計金三、〇七二、六八八円は逸失利益であるところ、これから必要経費四〇パーセント控除すると金一、八四三、六一二円となる。

5 原告は、本件事故により入院約二か月、通院約三か月を要する鞭打症の傷害を受けたものであり、これに対する慰藉料は金七〇〇、〇〇〇円(入院一か月につき金二〇〇、〇〇〇円、通院一か月につき金一〇〇、〇〇〇円)が相当である。

6 弁護士費用

原告は、被告が任意の弁済に応じないので原告代理人に本訴を委任し、報酬として金四〇〇、〇〇〇円の支払を約した。

(四)  よつて、原告は、被告に対し、右合計金四、六一四、一五二円およびこれに対する本件事故の日である昭和五二年五月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因(一)記載の事実は認める。但し、原告が頸椎捻挫の傷害を受けたとの点は不知。

2  同(二)記載の事実のうち、被告は被告車の保有者であり、本件事故当時右車両を自己のため運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。

3  同(三)記載の事実は争う。

三  被告の主張

1  本件事故は、原告車に追従して走行していた被告車が原告車が右折のために停止したのでこれに続いて停止し、原告車が右折を開始したので被告車も発進したところ、原告車が急停止したために被告車が原告車の後部バンパーに衝突したものであり、その時の被告車の時速二キロメートル程度であるから、原告主張のような重大な傷害が発生する事故ではない。現に、原告が事故当日向病院で診察を受けた際は、約一〇日間の加療を要する傷害であるとの診断を受けている。しかも、原告は本件事故に先だつ昭和五一年八月一八日ころ、車が大破に至るほどの事故を起し、頭部打撲の傷害を負い、向病院で治療を受けていたものであり、本件事故当時も右事故による頭部打撲後遺症が治癒していなかつたものであり、従つて、原告主張の傷害は本件事故によるものではない。

2  仮にそうでないとしても、原告は本件事故当時農業に従事し、且つ理容業およびレストハウスを営んでいた旨主張するが、農業は原告の夫の両親がやつており、又、理容業は原告の息子の嫁が主としてこれに従事していたものであるから、本件事故により原告が傷害を負つたとしても農業および理容業の収益の減少は右傷害と無関係である。そして、レストハウスの経営についても、昭和五二年が昭和五一年に比較して収入減となつたのは最近の経済状勢から見て当然であり、本件事故により原告がレストハウスの営業に従事しえなくなつたからではない。

3  仮にそうでないとしても、本件事故は、原告が右折の際左右の安全を確認せずに漫然と進行したため反対方面から進行してきた自転車の発見が遅れ、急停止したことにより被告車が原告車に追突したものであり、本件事故発生については原告にも過失があり、その過失割合は原告八割、被告二割である。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  本件事故は、被告が前方を注視して安全を確認して進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、右折のため停止中の原告車に被告車を追突させたもので被告の一方的過失である。なお、原告車が、右折のために一旦停止した後に右折を開始し、その直後再度停止したとの事実は否認する。

2  原告は、被告主張の交通事故を起したことはない。ただ、原告は、昭和五一年六月中旬ころ棚で頭を打ちそのため向病院において治療を受けたことがある。

第三証拠〔略〕

理由

一(一)  請求原因(一)記載の事故が発生したこと(但し、原告が傷害を受けたとの点は除く)および同(二)記載の事実はいずれも当事者間に争いがない。

(二)  本件事故の状況

成立に争いのない甲第一一ないし一四号証、原告本人尋問(第一回)、被告本人尋問(第一回)の各結果を総合すると、原告は、請求原因(一)記載の日時場所において、原告車を運転して中浜方面から酒見方面に向けて走行中、道路右側の自宅横の空地に入るため右折しようとしたところ、酒見方面から自転車が数台走行して来たので道路中央線付近に斜めに停止して自転車が通過するのを待つて右折を開始したが、その直後に再び同方面から自転車が走行して来たので急停止した。一方、被告は、被告車を運転して原告車に追従して走行していたが、原告車が停止したので被告車も停止し、その後原告車が右折を開始したのを見て、原告車はそのまま右折するものと軽信して被告車を発進させて原告車の左脇を走抜けようとしたところ、前記のとおり原告車が突然停止したために原告車の後部バンパー付近に追突したことが認められる。

右認定に反する原告本人尋問(第一回)の結果は措信しない。

右認定事実によれば、被告は、原告車の動静に対する注意を怠り被告車を原告車に追突させたものであつて本件事故発生につき過失の責を免れない。一方、原告も前方への注意を怠り自転車の走行に気付かず一旦右折のため発進させた原告車を急に停止させたために本件事故が発生したものであることが認められるから、原告も過失の程度は被告に比し小さいものの、本件事故発生につき過失の責を免れない。

以上を総合すると、本件事故発生に対する過失割合は、原告二割、被告八割と認めるのが相当である。

二  原告の鞭打症について

(一)  証人向永光の証言によれば、鞭打症の発生原因は、追突された場合、追突された車に乗つている人体は急激に前に出るが、重い頭部は慣性の法則によつて静止状態を続けようとするために、頸部は急激に後方へ折り曲げられ、頸部を構成している椎間軟骨、靱帯、血管、神経などが損傷を受けることにより発生するものであることが認められる。

従つて、追突した車の重量や速度が大きく、追突された車が前方へ動かされる初速が大きく、前方移動距離が大きいほど頸部に加わる外力は大きいものと考えられ、一方、衝突によつて被害車両が前方へ全く移動せず、頸部になんらの衝撃も受けないから鞭打傷害は起らないものと考えられる。(判例タイムズ二一二号、二三九ペーシ「鞭打傷害」参照)

(二)  追突の程度について

1  原告本人尋問(第一回)の結果によると、原告車が被告車に追突された際、原告はブレーキを踏んでいたため原告車は被告車の追突によつても停車位置から前方に移動はしなかつたことが認められる。もつとも、右事実から、原告の頸部になんらの衝撃をも受けていないと言いきれないと考えられる。

2  証人吉田実の証言、被告本人尋問(第一、二回)の結果を総合すれば、原告は本件事故後訴外吉田実に原告車の修理を依頼したが、追突による原告車の損傷部分は後部バンパーのみであり、その程度は極めて軽微であつて、後部バンパーが少しへこんだだけであることが認められる。

もつとも、成立に争いのない甲第一三号証(実況見分調書)には、本件事故により原告車は後部フエンダー部分のへこみ、被告車は前部フエンダー部分のへこみが各生じた旨の記載があり、原告車のバンパー部分の損傷については記載がないが、事故後の原告車の状況を撮影したものであることにつき争いのない甲第一八号証の一によつても原告車のフエンダー部分にへこみが生じたことを認めることができない。原告は、本人尋問(第一回)および司法警察員に対する供述調書(甲第一一号証)において、衝突によつて原告車のトランクが開き、閉らない状態になつた旨供述するが、右供述は前記証人吉田実の証言および前記甲第一八号証の一に照し客観的事実と合致せず措信しえない。

3  被告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告車は昭和四五年型のブルーバードであり、被告車はサニーであり、大きさは被告車の方がやや小さいことが認められ、従つて重量も被告車の方が軽いものと考えられる。

4  前記認定の本件事故の状況および右認定事実を総合すると、衝突時の被告車の速度は低速であり、原告車に対する衝撃もさほど大きなものでなかつたことが推認される。

(三)  原告の鞭打症の病状について

1  成立に争いのない甲第二号証、乙第一〇号証の一ないし二二、乙第一一号証の一ないし六、原告本人尋問(第一、二回)の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第一五号証によれば、原告は、衝突時に気持が悪くなり、変な感じを受けたものの、事故直後は特に異常を感じなかつたが、警察官からあとで必ず異状が出るので早く病院へ行くよう言われて、ただちに富来町の向病院へ行き医師向永光の診察を受けたが、様子を見るようにとの同医師の指示によりそのまま帰宅したが、首の痛みおよび熱感があつたので、翌日は日曜日であつたため、翌々日の九日朝同病院で再度診察を受けたところ、同医師から鞭打症であるから入院するよう言われたが(もつとも、証人川崎博次の証言では原告に入院させてくれと頼んだとされている。)、八人共用の病室しか空室がなかつたため当日は入院するのをやめ、翌一〇日に入院してその後同年七月七日まで入院し、その間首の湿布、皮下注射および電気治療を受け、退院後も右向病院で同年一〇月三一日ころまで治療を受け、その後は七尾市の平田鍼灸治療院で治療を受けていることが認められる。

なお、成立に争いのない甲第一一号証(司法警察員に対する原告の供述調書)によれば、原告は、入院を必要する症状であつた筈であり、且つ入院直後であるにもかかわらず、昭和五二年五月一〇日富来幹部派出所まで出頭して警察官の取調べを受け、その際、「本件事故によつて約一〇日間の頸椎捻挫の傷害を受け現在入院中である。」との供述をしていることが認められ、右供述からすると、医師の当初の診断は約一〇日間(もつとも、入院一〇日前を要するとの趣旨なのか、或は加療一〇日間を要する趣旨であるかについては判然としないが、警察官が傷害の程度を調書に記載する際には通常後者の意味であるものと解されるところ、そうであれば、入院措置までを必要とする病状であつたか否かについて疑問なしとしない。)程度の傷害であつたことが認められる。

2  証人向永光の証言によれば、同人が鞭打症と診断したのは、原告を診察した際の原告の首の痛み、首の熱感がある旨の訴および首の筋肉を押えたときに「ピクツ」とするとの症状によるものであり、主として原告の自覚症状が右診断の基礎になつていることが認められる。

なお、証人向永光は、鞭打症と診断した他覚的症状として原告に微熱が出ていたことを挙げるが、成立に争いのない乙第一〇号証の八ないし二三によれば、原告は、入院当初は平熱であるが、本件事故後一〇日間を経過した昭和五二年五月一六日から二三日ころでの三七度(うち二月間は三七度二分)、又、六月一二日ころから同月一九日ころまでは三七度まで発熱していることが認められるが、右発熱は、本件事故による受傷から相当期間を経過し、しかも相当な治療措置を講じた後に生じたものであるから、本件事故による受傷に起因するものであるか否かについては疑問である。

(四)  原告の本件事故前後の病歴について

1  成立に争いのない乙第四号証、乙第五、八号証の各一ないし四、乙第六号証の一、二、および原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告は、昭和五〇年三月一〇日身体の異状により富来病院において、第四腰椎前方上り症、メニエル氏病、鉄欠乏性貧血病、末梢神経炎であるとの診断を受けて昭和五〇年一一月ころまで継続的に治療を受け、さらに、昭和五一年一〇月四日ころには鉄欠乏性貧血症、末梢神経炎、多発性関節ロイマチス、腰椎捻挫症で治療を受け、又、昭和五三年三月ころにも同種病気により治療を受けていること、そして、昭和五一年八月一八日向病院において頸腕症候群および原告が同年八月中旬ころ頭部を打撲したことによる頭部打撲後遺症であるとの診断治療を受けていることが認められる。

2  成立に争いのない乙第七号証の一、二および原告本人尋問(第一回)の結果によると、原告は、本件事故による鞭打症治療のために向病院へも通院中であつた昭和五二年九月一二日、右鞭打症の経過が思わしくないとしてその治療のため富来病院においても診察を受け、その際顔面右側および頭部のしびれ感がある旨を訴えたところ、同病院の医師は右症状は顔面神経炎および眼精疲労症によるものであるとの診断をなし、その後原告は同月二六日ころまで同病院で治療を受けたことが認められ、右事実からすると、原告の本件事故直後からの身体の異状は鞭打症以外の病気に起因するものでないかとの疑いも払拭しえないところである。

3  証人向永光の証言によれば、原告の罹患している末梢神経炎およびメニエル氏病は鞭打症の症状とある程度似たところがあること、原告には心気症的傾向の存したことおよび原告の自覚症状は外傷性神経症に基づくものではないかとの疑いも否定しえないものであることが認められる。

(五)  以上述べて来たとおり、鞭打症の発生について種々の疑問を払拭しえないところではあるが、原告は本件事故後入院して治療措置を受けていることおよび証人向永光の「前記認定の態様の事故であつても鞭打症が発生しないとはいえない。」との証言を考慮すると、原告は本件事故により軽度の鞭打傷害を受けたことはこれを認めざるを得ない。

しかしながら、本件事故の状況、原告の病歴および原告には心気症的傾向が窺えることなどからすると、原告は、本件事故により軽度の鞭打傷害を受けたことにより、従来から有していた他の要因に基づく頭痛等の身体の変調が心因的に加重されて自覚症状として発生したものと認められるから、原告の入院、通院期間中の身体の異状およびこれによる労働能力の喪失をすべて本件事故による傷害に基づくものと認めるのは相当ではないものというべきである。そして、前記各認定事実からすると、原告が受傷時から退院するまでの期間である昭和五二年五月七日から同年七月七日までの六二日間については本件事故による傷害により治療を必要とし、その間労働能力を喪失していたものと認めるのが相当であり、従つて被告は、自賠法三条により原告が右期間中本件事故により稼働しえなくなつたことにより被つた損害を賠償する義務があるものというべきである。

三  原告の被つた損害

(一)  入院雑費

原告は本件事故による鞭打症のため昭和五二年五月一〇日から同年七月七日までの五八日間に亘り向病院に入院して治療を受けていたことは前記認定のとおりであつて(右入院が明らかに過剰な措置であつたものとまでは認めることはできない。)、弁論の全趣旨によれば、その間一日につき金五〇〇円の雑費を要し、入院期間中の雑費の合計額は金二九、〇〇〇円であることが認められる。

(二)1  農業収入損失金

証人川崎博次の証言および原告本人尋問(第一回)の結果によると、原告は、夫と成人の息子ともども田一町四反を耕作していることが認められ、又原告は本件事故による鞭打症のため昭和五二年五月七日以降の農繁期の農作業に従事しえなくつたものであることは前述のとおりである。原告は、農作業に従事しえなくなつたため、耕運代金二一四、五〇〇円、畔塗りの費用金二〇、〇〇〇円、肥料除草剤散布費用金二〇、五〇〇円、合計金二五五、〇〇〇円の出捐を余義なくされた旨主張し、証人川崎博次の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証の一によれば、右金員を支出していることが認められるが、前記のとおり、原告とその夫および息子の三名で農業に従事していたものであつて、農作業の性質上右三名のなかで昭和八年生れの婦人であり、且つ昭和五〇年から種々の持病を有していた原告がなすべき作業の割合は高いものとは考えられないことに加え、証人川崎博次の証言によれば、昭和五一年には畔塗りおよび農薬散布は右証人がこれをなしていたことが認められるから、前記金額全額を原告が本件事故により農業に従事しえなくなつたことにより被つた損害であるということはできないものというべきである、前記甲第五号証の一、証人川崎博次の証言、原告本人尋問(第一回)の結果および弁論の全趣旨を総合すると、右金員のうち、金七〇、〇〇〇円が原告が農業に従事しえなくなつたことによる損害と認めるのが相当である。

2  原告は、原告が鞭打症によつて農作業に従事できず、稲刈取運搬等、乾燥、消毒作業のために人を雇いそのため作業賃を出捐した旨主張するが、証人川崎博次の証言によつて真正に成立したものと認められる甲第五号証の二ないし四によれば、右作業をなしたのはいずれも昭和五二年八月以降であることが認められるところ、前記のとおり、本件事故による鞭打症によつて原告が農業に従事しえなかつたのは同年七月七日ころまでであると認められるから、原告の右主張は理由がない。

3  原告は、昭和五二年の収穫量は前年に比し少く、これは原告が本件事故により農作業に従事しえなかつたからである旨主張するが、前記のとおり原告は原告の代りに人を雇つて農作業をなしていることが認められるから、昭和五二年の収穫の減少が原告主張の理由によるものであるとは到底認められない。

(三)  理容業における損失金

原告は、本件事故による鞭打症のため昭和五二年五月七日から同年七月七日まで理容業に従事しえなかつたことは前記認定のとおりであり、原告本人尋問(第一回)の結果およびこれにより真正に成立したものと認められる甲第七号証によれば、原告は、右の期間千葉県在住の理容師の資格を有する妹に原告に代つて理容業に従事させ、その間同人に一か月金一五〇、〇〇〇円の賃金を支払つたことが認められ、従つて、右期間中の賃金合計は金三〇〇、〇〇〇円であることが認められる。

(四)  レストハウス営業における損失金

証人川崎博次の証言および原告本人尋問(第一回)の結果によれば、原告は朝から理容業に従事したうえ、これが終了した午後六時ころからレストハウスの営業に従事し、昭和五一年にはレストハウスの営業は専属の従業員一名を雇い、他にアルバイトを二、三名使用し、原告の夫である川崎博次も帳簿の記載等に従事していたこと、昭和五二年七月一〇日ころにレストハウスの営業を再開した際は午後五時から午後一一時まで専属の従業員を雇つたことが認められる。

原告は、本件事故により昭和五二年五月から七月一〇日ころまでレストハウスの営業をなしえなかつた旨供述するが、前記営業状況からすると、原告が鞭打症によつて稼働しえなかつたとしても原告の夫あるいは他のアルバイトを使用して営業を継続することが可能であつたものと認められるから、右の期間レストハウスを営業しえなかつたことによる逸失利益は原告が鞭打症によつて稼働しえなかつたことによる損害とは認め難い。

(五)  慰藉料

前記認定の本件事故の態様および傷害の程度その他一切の事情を考慮すると、原告に対する慰藉料は金一〇〇、〇〇〇円が相当である。

(六)  過失相殺について

前記認定のとおり、本件事故発生に対する過失割合は、原告二割、被告八割を認めるのが相当であるから原告らの前記損害額(但し、慰藉料については原告の過失を慰藉料算定につき斟酌したので過失相殺をしない。)につき過失相殺としてその二割を減ずるのが相当である。

(七)  弁護士費用

以上によると、原告は被告に対し、金四一九、二〇〇円の支払を求めうるところ、成立に争いのない甲第一〇号証によれば、原告は被告において任意の支払に応じないため本件訴訟の提起追行を原告訴訟代理人に委任したことが認められ、これに本件事案の内容、認容額等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にあるものとして被告に請求しうべきものは金五〇、〇〇〇円が相当である。

四  よつて、原告の被告に対する本訴請求は前項の合計金四六九、二〇〇円およびこれに対する本件事故発生の日である昭和五二年五月七日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 園田小次郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例